設計者にとって、設計コンペは自己表現の大舞台である。

 普段は施主との打ち合わせで、工事費を気にしながら、施主の気にいる建築ができるかどうかに相当の労力を費やす。相当の労力とは、施主の思いを限りなく100%叶えるよう心がけ、残りの数%の領域で自己表現し、自分の作品として胸をはれるよう仕立てているので、大変な創造エネルギーが必要だ。

 自分の思い通りに建築を創ることができる建築家をうらやましく思うときもある。だが、これも建築を志す者にとっては、避けて通れないステップだと思う。今は安易に己に妥協せず、自己表現の意欲を高めねばならない。いつかの大舞台のトレーニングと思い、所員共々踏ん張っている。

 設計コンペはそんなトレーニングの成果を表す総決算でもある。

 最近は設計者選定は、コンペ方式から、簡易型プロポーザル方式に変わり、以前のように徹夜でコンペに取り組むことは少なくなった。これは発注者が指名業者に負担がかからないようにとの配慮で、プロポーザル方式が多くなったことによる。表現の場が減って物足りない気もするが、経営面からすればありがたい。

 かつては年三回位コンペに参加すると、ほぼ一年間、これに費やすこととなり、全て不採用となったときの経済的なダメージは大きかった。しかし、プロの世界は0か100の世界なのだと自分に言い聞かせながら皆で頑張った。幸い戦歴は、打率でいえば3割を超えているので、まあまあかと思う。何よりもコンペのおかげで、さまざまな建物をやらせて頂いたことで、設計者として自信が持てた。

 しかしコンペに採用されず、物置の隅に追いやられている作品も多く、日の目を見ない作品だけに、不憫に思うし、未発表の作品ほど良く見える。

 事務所の玄関に不採用になった私の好きな作品を掲げているが、時々訪ねてきた人に聞かれる。その都度、説明しているが、じっと凝視している姿をみると、多少なりともこの作品が浮かばれたような気がする。飾ってよかったと思う。

 今まで、私のパースを描いた友人と冗談で、未発表の作品展でもやるかと話し合ったことがあるが、建つことのない建築はとても気がひける。幸い、弊社でホームページを開いているので、限られた場ではあるが掲載していきたいと考えている。

 特に近年ITの進歩とともに、我々に依頼するユーザーのなかには、ホームページを見て訪ねてくるお客も増えているので、未発表の作品を掲載することで、私の設計思想の一端を知ることにもなるので無駄にはならないだろうと思う。

 そのためにもこれからも限りなく夢を描く。



【非相称空間の創造】
日本人は、形で調和をとる時左右に同じものを置く相称形を避け、破調(非相称)にして余韻を残す傾向があります。相称形は人工的なものに限られ、自然が造りだすものはひとつとして同じ形、同じ色、同じ大きさはありません。いわゆる自由な形で調和を取ろうとする時、自ずと非相称のバランスとなり、これが自然の調和を示すのです。



【建築の風景〜機械(マシン)の様相】
この地域は、新国道が開通して急速に発展した地域で、自動車産業の発展と共に、国道周辺はメーカーを中心に自動車関連産業のセンターゾーンとして形成されています。

そこに建設される施設はメカニック(機構)、マシン(機械)をシンボライズした建築でなければなりません。マシンの持つ技術、機能、記号の多層構造を、最も象徴的で力強く表現できるエンジンのピストンをモチーフとして創造することで、建物はもちろん地域全体としてのランドーマークとしての役割を担うことになります。

技術的機械=メカニズムと動き、力とエネルギー=建物に物理性、構造、設備、材料
機能的機械=部分と全体の有機的関係、目的性=建築の目的性、空間の機能性
記号的機械=機械のイメージ、形のシステム=建築の意味性、思想表現

これらは、単独で存在するのではなく、どれが欠けても機械としては成り立ちません。建築も同様に、それぞれの性格が層をなして重なりあって存在する、いわば多層空間で、総体的システムであると考えます。




【大地創造〜ハクチョウの悠久の営み】
光輝く太陽を背に、悠久の営みとして飛来したハクチョウのダイナミックな飛翔、湖面に浮かんだ優雅な姿は、八朗湖のシンボルとして、また季節の風物詩として親しまれてきました。

ハクチョウの神秘的な美しさと柔らかな表情をイメージしたこのデザインは、荒々しく広大な大地に優美な曲線と対極的に融合し、鮮やかなコントラストを保ち、見る者に新鮮な感動を与えることと思います。

2001.8.28