最近、県内を歩いていても、興味をそそられる新しい建築が少ない。

 原因はさまざまだろう。しかし、経済構造の変化を切り離しては考えられない。戦後の高度成長、蜃気楼のようなバブル経済、そして戦後初めてのデフレ経済…、このようにめまぐるしく変化する経済構造が、建築にも影響を及ぼしている。

 特に近年は、郊外型の大型商業施設の発展はめざましく、一見豪華にみえるが、よくみれば張子のような急場しのぎの建築が多い。経営上、資金回収のことを考えれば、建築の存在は瞬間的に知らしめれば良いので、おのずとこんな風になるのかなと、妙に納得させられる。


 六郷温泉「あったか山」。大屋根を主体として山里の集落をイメージ
 住宅においても、住宅雑誌の影響か、ファッションショーのようにカラフルな住宅が軒を連ね、団地化されている。まるで外国かと思うほど、欧米型の住宅が多い。なぜかアジア系の住宅が少ないのが不思議である。それだけ日本は先進国を自認しているが故に欧米志向となるのであろう。風土に根ざした日本の文化が失われていくさまをみるようで、つい自虐的になってしまう。

 戦後の日本の社会の中で、我々の根本的基盤である自然(風土)に根ざした文化や習慣などの土台あたりがガタついていることに、建築のみならず、あらゆる分野が混乱していると思う。土台がしっかりしていない家は傾くのが当然で、いずれは朽ち果てる。国家も同じで、しっかりした土台があれば不動の理念が生まれる。今の日本は、戦後経験したことのない経済下にあり、しばらくは住宅を含め、建築の投資は鈍るであろう。今が建築も含め、あらゆるところを考える良い機会かも知れない。


 四季の変化を感じる、数奇屋風建築
 かつて、日本は仏教の伝来とともに大陸の影響を受け、近年では明治の文明開化で西欧文化を積極的に導入し、近代国家の道を歩んだ。まさに砂に水を注ぐようにして、一瞬にしてその文化を吸収して、風土に順応し、日本独自の文化を形成してきた。古くからの建築から、それが伺われる。

 しかし、現在はろくに調理もしないで丸ごと呑みこむ、模倣した住宅が数多く見受けられる。北欧調でも良い、アメリカン調でも、イスラム文化も良い。世界の情報が瞬時に伝播する時代であるから、それぞれの文化を取り入れ表現するのも、時代の表現であると思う。


 風土に根ざした力強さと住まい本来の安らぎを感じる民家
 だが、忘れてならないのは、日本固有の精神風土という土台に、しっかり立脚することが重要だ。世界でも稀有な、均一で鮮やかな四季の移ろいを感ずる風土が、日本人の精神構造に大きな影響を与えた。庭の作り方を見るだけで、西欧との峻別が分かる。自然そのものを取り入れた庭園と、家の中まで入り込んだ盆栽などは、まさに自然と調和する自然畏敬の考え方だ。対極的に西欧においては、自然を支配する考え方から、人工的形態が好まれ、幾何学形態の庭園が数多く見受けられる。

 自然が育む精神風土は、宗教まで高まり、その国独自の文化が作られることが良く分かる。確かな土台に世界のさまざまな文化を理解し吸収して建築に挿入することで、今までに見られない新鮮な日本建築が生まれる。それが時代の表現として、息の長い建築となり、時の経過に耐えられる。

 それは見る者に感動と、新たな創造の意欲をかきたてることにもつながる。岡田憲夫京大教授の書に、地域づくり、街づくりの基本は「共有する風景を実感できる空間」づくりであると提唱してあった。まさに今は、土台を凝視せねばならない。

2001.8.23