平成8年の冬、父が亡くなった。代々受け継がれてきた山林は、長男である私が継承することになった。社会に出てから30年余り、一度も山に入ったことはない。今、山がどういう状態であるのか、正直なところ、期待よりも不安のほうが大きい。将来、山をどうしていくのか、今、何をするべきか、考えればきりがない。

 しかし、山には幼い頃からの思い出がぎっしりつまっている。木に腰をかけ、祖父と山を語りあったこと、私が山へ入ることを何よりも喜んでいた祖父の笑顔…。当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。山が好きではなかった父と、唯一一緒に植林した場所も今では立派な林になっている。そんな断片的な記憶とともに山を思いだす。タイムカプセルを開けるように。山を想うことは、自分探しの旅につながるのかもしれない。


 伐採前の竹林。昼間なのに薄暗い
 しかし、そんな甘い感傷は、山に足を踏みいれた瞬間、吹き飛んだ。

 生えるがままに放置された竹林のせいで、昼間だというのに薄暗い。林道は、雪の重みで折れた杉や竹に塞がれている。僅かな風で竹が擦りあう音、鳥の鳴き声さえも、不気味に思える。何か起きそうな、嫌な雰囲気。手の施しようがない。

 とりあえず、途中で引き返し、従兄弟らに相談することにした。

 まずは道を確保すること。それが私たちの出した結論だった。

 さっそく作業に取りかかったものの、倒れた木を寄せるのは重労働だった。体力に自信のある私でも、相当骨が折れる。想像以上だ。

 そして、やっとの思いで道は開通した。竹との戦いはこれからだ。

 かつて、祖父の代で、竹は木にとって有害であることから、全て切り倒し杉を植林した。しかし今では、そのほとんどが竹に覆われている。当時よりさらに密集し、もう竹の生える隙間もないくらい林立している。祖父が植えた杉は全滅してしまった。増えすぎた。三町歩以上はあるだろう。


 伐採後、同じ場所で。加藤周一さんと
 ひるむ気持ちを奮いたたせ、のこぎり一丁で、一本一本、竹を切り倒す。怨念をこめて。しかし、いったい何年かかるのだろう。十年…いや、倒した後からさらに生えてくれば、もう何年かかるのか想像がつかない。

 所詮、自然が相手では、無駄な抵抗なのだろうか。しかしここで投げ出したら、ますます先が見えなくなる。

 やるしかない。

 そんな折、思わぬ幸運に恵まれた。古くからの親戚、加藤周一さんが助っ人を申し出てくれたのだ。彼は林業家として、農林大臣賞を受賞したこともある。いわば林業の鉄人だ。

 周一さんとふたりで、朝から暗くなるまで、ひたすら竹を切り倒した。最初は手当たり次第に切っていたが、途中から作戦を変え、とりあえず下から上が見通せるように切ってゆくことにした。

 ひとりでやっていたときは、どこまでやったのかわからなくなり、気の遠くなるような作業だったが、周一さんのおかげで先が見えてきた。彼には心から感謝している。


 伐採後の竹林。空が見え明るくなった
 そんな喜びもつかの間、意外な落とし穴に気がついた。

 倒した竹が山を覆い、足の踏み場すらない。竹は滑るので、歩くときはとても危険だ。案の定、「倒した竹が邪魔で竹の子が採れない」と、親戚の人達の不満も聞こえてきた。

 ただ、竹を成敗することのみ、考えていた自分が情けない。このまま竹を切り続けていいものか…。瀬戸際に追いつめられた。

 いろんな人に尋ねてはみたが、竹の使い道は、せいぜい養殖のりかいけすに使われる程度で、まして太い孟宗竹など、無用の長物らしい。

 そんな折、知人から思いもよらぬ提案があった。「竹炭を作りたいので、竹を譲ってほしい」と言われたのである。さっそく一緒に山へ出向いた。竹の太さには度肝をぬかれたようであったが、結局、試作品を作ってはみたものの採算がとれないということで、断念せざるをえなかった。まあ、人生だって思いどおりにならないのが常である。焦ることはない。竹炭という利用法もあることがわかっただけでもよかった。


 入れされた杉林。祖父の代で植林
 捨てる神あれば拾う神あり、とはよくいったものである。
中学の同級生が「退職後の仕事として、竹炭を作りたい」と言ってきたのである。願ったり叶ったりの嬉しい話だ。昔から、彼は理論的裏付けのもとに取り組むタイプ。物静かにじっくりと構えている男で、きっと炭作りには向いている。理想的な人が現れた。これだからやっぱり人生はおもしろい。

 その後、幾度か失敗を繰り返したものの、まずは順調な滑りだしである。私が設計した住宅にも利用してみたが、お客様の意見は大方好評。見通しは明るい。

 特にここ近年は、竹炭の持つ化学物質の吸着能力が見直され、ブームを巻き起こしている。これは一時的なものではなく、科学の進歩と比例して、今後も需要が伸びそうだ。かつて持て余していた竹と共存共栄ができるようになった。今は、竹の青さがみずみずしく思える。すくすく育ってほしいと願うほどである。

 30年もの間、放置され、窮屈そうに眠っていた竹林が蘇った。天国の祖父や父、かつて竹に携わった人達も皆喜んでいるに違いない。

 現在は竹から解放され、杉林の手入れに入っている。それはそれで苦労はあるが、普段の生活と違う体験から、新たな建築の発想もわいてくるような予感がある。心身のリフレッシュのつもりで焦らず、ゆっくり山を眺めながら進んでいこう。

 「泰山北斗の如し」である。

2001.5.26