「秋田杉で街づくりネットワーク」森林体験

 今年も半年が過ぎようとしている。月日のたつ早さには驚く。特に今年は、私の従兄弟の娘の結婚が決まり、家の増築にとりかかることとなった。従兄弟といっても、幼いときより兄弟のようなつきあいをしてきた。この際出来る限り役立つことがあればと思い、代々受け継がれてきた山林から杉材を提供することにした。

 多少工期は遅れたが、結婚式にはなんとか間に合った。一息ついたところで、今度は早々に結婚式。いくら慶事とはいえ、家族にとっては大変。結婚式が終わった途端、ぐったりした表情を見てそう思った。私も恥ずかしながら、亡き父の名代のつもりで、親族代表のあいさつをさせて頂いた。不肖の息子だけに、父や祖父母に顔向けができることが、何よりも良かった。

 その前日は「秋田杉で街づくりネットワーク」の最初のイベントである森林体験を実施した。参加者は一般市民を含めて約40名くらい。「森からの家づくりを考えて見ませんか」と呼びかけたところ、来年、家を計画している方も数組参加してくれた。秋田県で実施している地産地消事業が広く県民にアピールされているからであろう。最初にしては上々の出来だ。

 間伐した杉丸太から箸を作る

 昼食には、私が持参した自慢の孟宗竹の鍋料理、採りたての山菜鍋、バーベキューなど、新鮮な食材をみんなで味わった。全て、自然の恵みでやりたいと、林業家の提案で、箸は間伐した杉丸太から木工家具屋が全員分を作ってくれた。食事の間、森林所有者の森や木についての話に、参加者が真剣な眼差しで聞いていた姿は印象的だった。

 住宅の素材が木であることは知っていても、森に入り木を育てている林業家の話など、ほとんど聞く機会はないであろう。家作りの原点はここにあることを、参加者が多少でも理解してくれたら、これからの設計作業も楽しくなる。


 御幣餅を焼いているところ
 戦後、日本は経済的に高度成長を遂げ、世界の主要な大国となった。しかし近年の姿は衰退期を急降下しているようでもある。肥満体に膨れ上がった体の贅肉がどんどん削ぎ落とされ、スマートな日本になっていく様が、企業のリストラ、破産などで失業者が増加していることから良くわかる。この状況をスムーズにスライドさせていく構造改革が、何年たってもスピーディに進まないのは、軟着陸を得意とする日本の限界かもしれない。

 自然の摂理からすれば、成るように成るしかない。


 林業家の話に耳を傾ける参加者たち
 環境変化に適応できない者は滅びる。このことは経済学者レスター・サローも言っている。自然界の営みには常に種の保存をかけた争いが存在する。何百年、何千年、何事もなかったかのように泰然としている自然の中で、あらゆる生物が生存競争を繰り返しながら、微妙に絡みあい、絶妙のバランスをとっている。ぎこちない人間社会と比べれば、自然の営みにはかなわない。このことは森に入ることで学べる。

 今は歴史的に大きな転換期といわれるが、我々凡人はとりあえずしっかり足元を見て、大地を踏みしめて、時流に押し流されないよう気をつけることが肝心。森からの家づくりの目的はそこにある。


 参加者全員で記念撮影


 CM方式によるモデル調査

 私が平成8年より提唱したCM方式もようやく公共事業への道が拓けてきた。

 6月25日、CM方式導入調査委員会が開かれ、現在進行中のモデル調査の経過報告を発表させていただいた。まもなく入札が行われ、7月初めには、合同契約調印式の予定である。完成は来年春の予定だが、モデル調査報告書はほぼ出来上がり、関係者による原稿の精査が行われている。これが地方自治体のモデルとなり、公共事業への導入が促進されれば、建設業界も大きく変貌することであろう。

 今まで下請けや孫請けでがんばってきた専門業者にとっては、現在の閉塞した状況から脱して、自立への道を歩むことができる。そのことを念じて、報告者をまとめた。業界に見切りをつけて廃業した者、倒産に追い込まれた者、これまで多くの友人の様々な人生を見てきたが、せめてこの人たちの思いを少しでもかなえることができればとの思いで、ここまでやってきた。これで終わりではなく、これからが本番だ。

 今後のことは、これといった策はないが、信玄の旗印の「風林火山」でも読んで考えることとする。こんな調子で1ヶ月を過ごしたが、今までにない濃縮された1ヶ月だったので、多少ゆっくりしたい気持ちもある。しかし、そうもいかない。まずは森に入り、先人の気を注入して、英気を養うこととしよう。

2002.6.29