![]() 今年の森は春が早い。例年と比べて雪が少なく、気温も高い。森の樹木や草花の初々しい緑の新芽があわてて顔を出している様は、自然の正直さを表わす。そんな自然のサイクルと昨今の激変する社会環境に右往左往している人間の姿と、つい比べて見てしまう。やはり、自然の営みは、環境の変化にすばやく順応し、次に備える。その自然の生成システムの完璧さには驚かされる。 雪の少ない年は農家の水田が気になるが、おそらく梅雨時には雪の少ない分だけ、雨量が多くなるだろう。森もたっぷり水を吸収して、豊かな森を育み、その水が水田を潤し、豊潤な海となる。かつて竹に浸食され、荒れた山林も部分的ながら、竹が間伐され、日当たりの良い竹林に変わった。下草が生い茂り、土砂崩れの心配はない。 いずれは京都・嵯峨野の竹林のように、少雨時に番傘をさしての散策などは、風情があってまんざらでもない。案外、最も贅沢な楽しみ方かもしれない。
ここまでくるのも従兄弟や親戚の人たちが力を貸してくれたおかげだ。生涯感謝の念は忘れてはならないと肝に命じている。古くから代々受け継がれてこれたのも、現代社会では薄れつつある互助精神が脈々と受け継がれているからであろう。これから先、時代がどんなに激変しようが、こんな地域コミュニティーの維持装置だけは失ってはならないと痛感させられる。 今年は雪の少ないぶん、いつもより多く山に入り、作業を行っている。かつて一次二次産業中心の時代は労働力の確保も容易であったが、現代の多様化した産業構造の社会では、かつての手法の踏襲だけでは未来の展望が開けない。 それは、森林を継承する人が年々減少し、山林を手放す人が増えてきたことからわかる。私も先方の事情から、隣接する山林を購入したが、案の定、身内からはなぜこんな時期に山林を購入するのかと、非難轟轟のめにあった。 しかし、我が家とは古くから深い関わりのある人たちからの購入であり、緑あってのこと。大袈裟かもしれないが、「人間万事塞翁が馬」と心得、頑張るしかない。おそらく亡くなった先人達は喜んで見守ってくれると思う。
こんなことを考えて、育林から家作りまで、まさに「森からの家作り」が可能となることを願い、この4月に林業管理会社を設立した。森と親しみ、楽しみながら、林業ができればと思う。さらに欲をいえば、経済的に自立し、労働力を確保して、小規模でも企業化できれば、森への関心がより高まる。そこから新たな展望が広がる。 先日思わぬことに出くわした。杉林で珍しく大きなタヌキが、私の目の前50m位先を何くわぬ顔でゆっくり通り過ぎるのを見た。タヌキは夜行性で、めったに昼間見ることはない。おそらく、そのタヌキは私より古くからの森の住人で、あの歩き方からして、私など最近よく見かける部外者と見ているに違いない。最近、タヌキが増え、人里に侵入して、農作物に被害をもたらしている話をよく聞くが、森の中では格別害獣でもないので、増えてもさして問題ではない。タヌキ村のポンポコ山のように、うまく人間と共存できればと良いと思っている。 このように、春はあらゆる生き物が活気付く季節。まもなく梅雨となり夏が来る。森は生き物たちが支配して、私のようなセミプロクラスの人間なぞ山に入りこむ余地を与えてくれない。無理すれば顔が腫れあがるほど、手厳しくやられる。このことはすでに実証済みである。
こんな夢を抱きながら今年も森へ入る。
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