![]() これまでの産業としての家作りから、地域社会と共生する家作りを考えよう。こんな漠然とした思いから仲間が集まり、昨年秋、準備会を立ち上げた。マスコミ等にも取り上げられ、まずは上々のスタートを切った。今まで家作りには遠い存在であった、県森連や秋田市森林組合、専業林家なども参加してくれた。 会の規約や活動方針も決まり、紆余曲折はあったが、1月正式に発足。最初の例会は木を知らない会員と、森と木についての意見交換を行ったが、林業の真似事をやっている私などとは、話の中身の濃さが違う。特に事象に対する視点の違いには感心させられた。いつも日常業務に追われ、目先の事にとらわれがちの生き方をしている者にとって、地平線の彼方を見て、物事を考え、行動している林家の生き方は新鮮だ。自然の時の刻みに順応しているからであろう。 現代のような変化の激しい不確定な時代は、こんな視点で時代を読み、行動することが重要かもしれない。
木の含水率は20%以下。このことは専門家であれば、経文を唱えるように信じている。しかし100〜200年経た建築を見るにつけ、かつて建築に携わった人々が、現在のように正確に含水率を確かめてそうなっているとは、到底思えない。職人たちの長年の経験と勘で、天然乾燥を行いながら、仕口や工法、さらに高温多湿に適した風通しの良い間取りなどで優れた日本建築をあみだし、完結させた。 先人の優れた知恵や技術を再認識し学ぶことが木に対するあらゆる問題を解くカギに思える。含水率200%の立木を人工的に20%まで下げることが、多湿な日本の国土にはたして適しているのか、それよりも地域に合った数値があるようにも思える。林業家の話を聞くにつれ疑問が深まる。 つまり、外材を取り扱う業者には申し訳ないが、木は自然素材であるが故に、その育った地域で活用されてこそ生かされる。国内で建築する木材は、当然のことながら、国産材が最も適していることになる。さらに木は材としての価値だけでなく、精神性を表わす。その事例に神社や森の中に祭られている御神木、深い森の中に浩然とそびえる巨木は、否応なしに人をひきつける。それは自然への畏敬の念からであろう。まさに木は信仰まで高まるからなおさらだ。 それに木の使い方が物理的に考えすぎて、限界に近い、余裕のない細い部材で、軸組みが構成されている面がある。建築基準法の最低基準は3寸角から認められているが、一般的には3寸5分角が多用されている。住宅はクレーム産業といわれている割には、構造面においては良質な住宅が提供されていると思う。しかし、仕上げとしての柱材は、鉋仕上となることから、それよりさらに細くなる。など考えると、含水率どころか、あらゆることが気にかかる。
内部仕上も極力、自然素材を用いて家作りをすれば、木の持つ調湿機能を失わず、健康的で丈夫な住まいができる。多少の木目や節など気にせず、木の持つ精神性、特性を知り、そこから家を作る感性をユーザーと共有できれば本物となる。 「秋田杉で街づくりネットワーク」はこんな家作りを志向していきたい。6月には市民に呼びかけて、森林体験を企画することになっているが、森を理解し、森からの家作りの大切さに共感が得られればと思っている。それには林業再生が不可欠の条件となる。林家とユーザーが直接結びつく家作りがまもなく動き出す。そのときこそ林業再生へのスタートとなる。 その胎動が聞こえる。
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